116回「コーヒー牛乳」
一等:藤本翔大
講評:関健太
本年度8回目
前回の続きでもある今回の議題は「コーヒー牛乳」
7回目となる前回は完成と未完成について議論した。
前回の合理と合理の拮抗関係にある状況こそが未完成状態なのではないかという議論から、今回はコーヒーと牛乳という二つの合理が拮抗し出来上がる『コーヒー牛乳』について、果たしてそれを空間に置き換えて考えてみるとどのようなことが起きるのかということに挑んだ。
テーマ「コーヒー牛乳」
一等案は藤本案。
3つのスラブによって、2つの空間を生成するもの(左の模型)と3つのスラブによって多様な場所のある二層(右の模型)がある。
コーヒーに対して、ミルク(牛乳)を入れた時、そのミルクはコーヒーに対して瞬間的に混ざるのではなく、絡み合いながら徐々にコーヒー牛乳と化してゆく。(イメージ)
完全に混ざり合った状態を左の模型とするならば、ミルクを入れた瞬間は右の模型である。その状態・空間はというとそれはそれは多様な空間が広がっている。
天井は低いが視線の広がりも持つ場所、高さを感じながらも個人の居場所としては快適な場所、座れる場所、登れない場所、うまく入れない場所、明るいところ、暗いところ、家具があるから居場所なところ、椅子がないけどベンチなところ
いろんな“ところ”が存在している。
確かに左の模型は、いわゆるコーヒー牛乳として完成しているのか、空間的には単調である。
だからと言って、右の空間が多様なのだろうか。
人は空間を理解していけばしていくほど、その複雑さを理解していく。
だとするならば右の模型で生まれている空間も単調なのかもしれない。
ただ、ひとつあるとすれば、その空間というものを生き物が理解していく時間の長さであるように思う。左の模型よりも、右の模型の空間を理解するのには時間がかかるだろう。なぜなら居場所がたくさんあり、ものの置き方を変えれば空間が違って見える。良い意味で複雑であるのだ。
そしてそこから見えてくる論点はそのような複雑さを持つ形を、どう作っていくかということにある。
その模型を良い意味で的当に製作したと言う藤本。
複雑さを意識的に生み出す(説明できる)のか、無意識的に生み出す(説明できない)のか。その混合状態がいいのか。
議論は絶えない。
この案は3つのスラブで2層の空間をつくるという操作を2つ行い、比較を用いて議論を生んだことに評価できた。
建築を作り上げていくことの中には、時には機能的に、合理的に考えなくてはならない局面は存在する。しかし面白さを生み出すための「遊び」のような行動は必ず必要であるように思われる。そのような確認ができたこともよかったことの1つである。そしてこれは次回のテーマにも繋がっている。
もっと面白いものをつくるために。
思考は続く。
次回テーマ「童心にかえる」
参加者:斎藤、関、土田、林、藤本