Harada Masahiro Lab

原田真宏研究室ゼミ活動 「SYU-MAI」HP

141回「ASOKO」

令和五年度原田真宏研究室B4によるSHU-MAI第5回目を迎える。
今回のテーマは「ASOKO(豊洲フォレストエントランス)」である。

 

今回のテーマは、豊洲フォレストエントランスという芝浦工大生が豊洲キャンパスに来る間に通るおなじみの場所に設定した。今までとは異なり、空間であるテーマを、模型にした空間、で表現する新しい試みをした。

 

 

【飯泉案】

『認知空間』

そこにあると認知している空間は
本当に認知している通りに存在しているのだろうか
我々は実際に触れることのできない空間の存在を証明できるのか。

 

 

 

【井浦案】

「ヤジロベエ」

柱は空間を支配する力を持つ。一本で周りに人が集まる。二本で空間を二つに分ける。三本、四本で内と外が生まれる。こうして柱に支配された空間が生まれる。
よって支配された空間に①スケール、素材の異なるスラブを挿入し、②一部柱をGLから浮かせると、空間は不安定な状態となる。その形態はまるでヤジロベエのように頼りなくもあるが、どこか愛らしい形をしているのである。愛らしい空間はどこか頼りなさを抱えているかもしれない。

 

 



【鈴木案】

「距離と大きさ」

人間の目はあらゆる補正がかかっている。距離に対する物の見え方もその一つだ。太陽と月が同じ大きさに見えるように、物の見え方は距離と大きさが反比例する関係にある。あの空間では、大きな壁と天井に大きなスリットが入っており、それらを遠くから見ると、床の目地と同じように見えた。
この作品も添景の目線からは全てが同じような大きさに見える。補正を逆に利用することで、遠近感の中に統一性を生み出すことができる。

 

 



 

【服部案】

「反射率」+「透過率」+「吸収率」=100%

映り込む縁。上へと伸びていく柱。天井の中の虚像は現実の世界として認識される。
私たちの認知世界の境界は、光によって操作されていることに気づかされた。

 


【中西案】

「人間場」

巨大で印象的なオフィス空間で一人きり、自分が関係者でないという後ろめたさもあって、私はそこにいる人々の力に圧倒されていた。建築のように物理的に人の行動を操作するものもあれば、そこにいる人によって自然と作られる空間の境界もあるなと感じ、それを「人間場」と呼びたくなった。
最後に、二次元では表現できないことにこだわっていたので奥行きについても意識した形にしてみた。奥へ行くほど小さくなっていく。

 

 



【松野案】


「物質の中動態」

ただあるガラス壁は両者を分断するだけでなく、繋げてしまう、から外の湿り気も木々の揺らぎも人の往来もこことは違う世界なのに存在しているもの、映像として私は見ている。
でもそれはガラス壁本人は両者に対して中立的立場を取っているだけ。しようとしていなくて、でもしている。物質の中動態であろう。
そしてガラス壁は透過に加え、若干反射も持ってするので、それはこちらに委ねるながら、こちらをまた映すのである。

 

 

 



【江口案】

「違和感」

課題空間を体験したとき、高すぎる天井高による圧倒的な大空間と空間を覆う自然素材に違和感を感じた。もはや偽物にすら感じる自然素材、その隙間に垣間見える構成要素、それらによってできる大空間を組み合わせることで、課題の空間を再現した。

 



【町田案】

「視線の密度」

建築学生はよく言う。
「ここがパブリックスペースになって、気持ちいい空間になります。」
さて、公共性は、建築によってそうも容易に操作できるのだろうか。
”建築の開き具合"だけではなく、そこを利用する人々の影響が強いように考える。
本エントランスのように、プライベート性の強そうな場でも、人の視線が気にならなければ、寧ろパブリックスペースになるのだ。
人を注視するか否かは、その国の内情、人柄によって変わってくる。そこで、『国や地域によって公共性は変化する』という仮説ができた。


【総評】

今回の課題では全員が同じ「空間(意味的な文脈を持たない純粋な体験)」を「空間」×「テキスト」で表現する試みを行った。
体験対象となる空間は「豊洲フォレシア内オフィスのエントランス空間」で、オフィスのエントランスという均質的な空間が特徴的である。

 

全員が同じ空間を体験するという試みの性質上、各々の掲げたテーマが似た空気感を持っていた。
具体的には対象空間で主観的に感じた居づらさの領域性を表現した中西案や、公共空間の濃度を人々の視線という視点で分析して再表現した町田案など、公共空間に対する主観的観測。
演出された屋内空間のハリボテ感を表現した江口案のような装飾的に演出された均質空間への違和感。
また人々が行くことができない、実際に体感することのできない空間への違和感を表現した飯泉案や物の大きさの感覚と距離の関係を図的な空間として表現した鈴木案などの大きな空間に対するスケールアウトの感覚。
これらの感覚は議論の中で我々の中で多くの共感を呼ぶ物であった。
その上で今回我々の中の多くが感じたオフィスのエントランスという均質的な空間に対する違和感は建築に携わる物だからこそ感じる感覚で、実際にその空間にいる人々はその違和感を感じないのではないかというような、建築に携わるものとそうではない実際の一般の人々との間に空間に対する感覚の乖離があるのではないかという議論が印象的であった。

 

また全員発表後の議論において今回のテーマとして空間から感じ取ったことを空間で表現するというテーマに対してのやりづらさを感じる人が多かったことが話題となった。
我々の分析では、いままでのお題では言葉を設定していたから、言葉の意味、含むニュアンスを抽象的なイメージとして捉えて、そのイメージを発散させてから空間に帰着させていたが、
今回のお題である空間は具体的なものであったため、その空間から感じたことの一部を切り取って抽象的なイメージに発散させた後に空間として表現する必要があった。
このように今までにあまりやったことがない思考回路であったことから、やりづらいと感じたという結論になった。
裏を返せばこれはSHU-MAIを筋トレとして扱う私達にとっては使ったことがない筋肉を使うという意味で課題設定が成功していたことを示している。

また表現に関して、今回は初回と同じく「模型」+「題名」+「テキスト」であったが、初回の時との思考プロセスの違いに関しても議論が進んだ。
初回では我々の多くは「テキスト」を決めてから、つまりは表現したい内容が具体的に決まってからそれを「模型」で表現するというパターンが多く見られたが
今回は「模型」としての空間表現が完成したのちに「テキスト」を決める。すなわち「抽象的な空間表現(お題としての具体的な空間とは異なり各々の表現としての抽象的な空間)」のイメージの後に「具体的なテキスト」でのイメージを考えるというように、思考のプロセスの順番が逆転していたことがわかった。
これらの経験から我々は、抽象的イメージと具体的イメージ、すなわち空間と言葉の行き来をしながらトータルとして設計を進めることをできるようになることが理想であるという感覚を掴んだ。

 

次回のテーマ設定に向けては「ラフさ」が大きなキーワードとなった。
今回までのSHU-MAIでは模型が己の考えや主張を表現するためのツールとしてのみ使われている作品がいくつか見られた。そのため模型に空間としての価値が薄く空間論としての議論が発展しなかった作品も存在した。
これらを踏まえて次回に向けては模型が己の考えや主張を表現するための「手段」であるだけはなく、それ自体が空間の豊かさを表現するという「目的」を持つことを目指したテーマ設定が行われた。
そのために「自分のいたい空間」という空間表現に対する主観を含ませたテーマとし、お題を「華やか」という空間に直結するものとした。

 

SHU-MAIとは何なのか。我々はそれを筋トレに例えて定義した。
「テキスト」から「空間」を生む思考。「形」から「空間」を生む思考。「空間」から「空間」を生む思考。それらの鍛えるべき部位を課題設定の時点で決めて、各々が表現。すなわちトレーニングを行い、全体発表ののちに議論を交わし次回に向けての鍛える部位とそのためのトレーニング方法をブラッシュアップする。回を重ねるごとに私達は筋肉をより美しく、より肥大化させている。

 

この総評もそうである。
これは4時間近くに渡る議論の中に散らばった我々の筋トレの成果を保存、共有するために、要点を抽出して再構築し、文章として紡ぐという筋トレなのである。
前回の総評よりもよりいいものを。前回の筋トレよりもより負荷の高いものを。この意識を持って我々は総評を書いている。
我々はこの総評という筋トレも回を重ねることで、より肥大化した美しい筋肉を得ていることを身をもって感じている。

さて、次回の総評ではどのような美しい筋肉を見せてくれるのか。
今回よりもより美しく素晴らしい総評を期待を持って見守っていただきたい。

(文責:飯泉)

 

【次回:第142回】

SHUMAI 第6回 
テーマ:「はなやか」→「自分の居たい空間」

6/2 15:10~18:30 (出力など時間厳守)

《最終成果物》
タイトル+ +150mm角の模型

《条件》
•ラフに

 

お楽しみに!

(文責:中西)