Harada Masahiro Lab

原田真宏研究室ゼミ活動 「SYU-MAI」HP

135回「解かない」

フライヤー制作:井筒悠斗

【はじめに】

 

 今年度に入り4回目を迎えたSHU-MAI 第135回。学内での展示も板についてきた頃でそことなくこのSHU-MAIに慣れてきたメンバーであるが、今回の課題はそんな雰囲気に新たな風を呼び込むものとなった。



【出展者一覧】

井筒悠斗|原田研究室B4

河本一樹|原田研究室B4

岩田理紗子|原田研究室B4

佐倉園実|原田研究室B4

川村寛樹|原田研究室B4

曾原翔太郎|原田研究室B4

東尚生|原田研究室B4

鈴木貴緒子|トム研究室B4

上柳翔汰|UAコースB2

 

【課題文】

 最近テレビが面白くないと感じるようになった。かつての放送局が優秀だったのからなのか、規制が増えたからなのか、それとも私たちがちょっぴり大人になったからなのかは分からない。退屈な演出と度重なるコマーシャルに欠伸をしながら手元のスマホに手を伸ばす。それは端的に答えを教えてくれるから。私たちの脳は賢くない。

だからいつだってシンプルな方が良いらしい。

 方程式を解くように、緊張を解くように、建築も解く。建築家は複雑化された人々の営みとニーズを直線化する作業を行うのが仕事だと誰かが言った。しかし、点と点を直線で繋ぐだけの建築は本当にこれからの社会に求められる姿なのだろうか。解けるものを解かないとき、どのような豊かさを手に入れることができるのだろう。

 

   Recently I've come to feel that TV isn't interesting. I don't know if it was because the old broadcasters were excellent, because of the increased regulations, or because we were a little grown up. Using your smartphone while yawning in boring productions and repeated commercials. It must give me the answer in a nutshell. Our brains aren't smart, So it may be always better to be simple.

   As if solving an equation, as if solving tension, also solving architecture. Someone said that it is the job of architects to work to straighten the complicated activities and needs of people. However, is architecture that simply connects dots with a straight line really what society will demand in the future? What kind of abundance can we get when we do NOT solve what we can solve?



【課題要項】

5cm×5cm×5cm 以内の立体物でテーマを表したもの。可能であれば透明な材で立方体をつくると好ましい。作品は所定の A4 フォーマットに乗せ、タイトルと説明を記載した上でパネル化すること。

 

 

【出展作品】

 

01-「ありふれたひみつ ーみるー」井筒悠斗

この世界の50%は秘密でできていると誰かが言った。それを5x5x5㎝=125㎠の中の50%の体積を提示することで表現した。そうしてみると、思ったよりとても大きく見えるのがわかるだろう。世界はありふれたひみつでできている。それを解こうとする、中を見ようとする時、ひみつは宝石のように赤く光るだろう。中身はたぶんたいしたことがないだろうけど。

 

02-「なんとかしたい」岩田理紗子



解くということが問題をなくすということならば、解かないとは、問題を作ることなのかもしれない。手芸はパターンと呼ばれる型に沿って布を裁っていく。それとは違ってデタラメにつくられたこの作品は、みるひとに「なんとかしたい」と思わせるものである。その気持ちはもしかしたら作り手と使い手が分離した現代に参加する灯火を与えるのかもしれない。



03-「ふたりの関係」佐倉園実



50mmの中にふたりの人間がいる。二つのブロックに分かれた空間の片方には複雑に木材が交差する。これを組み合わせることによって少なくとも3つの組み合わせを見つけることができる。建築が包み込む形態によってふたりの関係は大きく変わっていくのだ。



04-「どう詰めるか」上柳翔汰



ある大学教授が学生に話したツボの話をご存じだろうか。まず初めに大きな石を入れると隙間には砂が入る。砂の隙間には水が入る。。この話の真髄は「大きな石(=意志)は初めにしか入らない」ということである。この優先順位を考えてみることを一回忘れてみよう。順序の放棄ではなく、一番自由な創造を目指して。



05-「沈黙」川村寛



沈黙はいやだ。誰かの秘密はすぐバラしたいし、あの漫画の結末だって今すぐ誰かに話したい。でも、そんな謎は解かれていないからこそ惹かれるんだろう。開きそうで開かない、開けさせない様子を表した作品を思い出して、ただ、今は口を結んで沈黙を愉しもう。



06-「Tokuha Nai【トクァナイ】」曾原翔太郎

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タバコの吸い殻を集める。何の利益もないし何にもならない。しかし、この瓶が満たされた時、私たちは徳を積んだことになるのかもしれない(たぶん)。この作品は吸い殻と瓶というありふれた雑物から人間の行動と心情の多様さを紐解くドラマとも言える。



07-「いつも解いてばかりだし...」鈴木貴緒子



この作品は結果ではなく過程に主眼を置いている。目の前の針金は伸ばされ、曲げられ、切られ、濡らされ、そしてここにある。いつも解いてばかりだから解かない状態を楽しむ。目の前で起きていることを超えて作品とそれを作った人間の奥を見ようと思わせてくれる作品である。



08-「相反性建築」河本一樹



建築の透明化が謳われる現代において、むしろ人々の営みは匿名化しているのではないだろうか。シュレディンーガーの猫のように閉ざされたブラックボックスは相反する世界の存在を許容し、それ自体が私たちの想像力を駆り立てる豊かさになるのである。

【総評】

5x5x5cmという限られた範囲を設けることによって無駄な要素を排除した課題に率直な作品が多く見られた。さらに、洗練された本質はこれまでに見られなかった作品間の類似性を生み出したことが最も素晴らしい成果と言えるだろう。

「解かない」というテーマの中で、凝り固まった理論脳に綻びを持たせ、解かないことの豊かさを、そして解くことの過程に目を向ける機会になったことはこの後においていつか必ず手を差し伸べてくれるだろう。

 

文責:井筒悠斗