今回のテーマ「セヴェラルネス」
一等:全作品
講評:平井悠大
本年第10回目。「セヴェラルネス」とは早稲田大学で建築史を教授する中谷礼仁氏が提唱した術語である。今回私達は模型製作期間中に原典を入手できなかったため、不明瞭な”セヴェラルネス”なる言葉を、インターネット上にある少ない論述を基に推察し取り組んだ。模型製作過程のこうしたプロセスは、伝聞をもとに未知のサイを描いたドイツルネサンスの巨匠デューラーを思い出させる。個々人の類推の独特性が発揮され、『サイ図』のように自家製的魅力をもつ作品群を生んだ。
また、今回、学部生だけでシューマイを行った後、「セヴェラルネス」を研究中であるM2藤本さんに解説と改めて講義と講評を行っていただいた。単なる作品評にとどまらない建築のあり方までを含んだ議論の広がりは非常に有意義であった。
私は未だ原著を未読である。本講評は増補改訂の可能性があることを了承いただきたい。
「セヴェラルネス」:幅を持った術語であり、一言でまとめるならば建築形態に”実存主義”視点を持ち込んだものとして理解される。
(実存主義:「実存は本質に先立つ」:本質(=意味)が剥奪された現代人類には、”ただ有る”としての実存しかない。各々の努力の基に、各々の本質(=意味、目的、役割)を打ち立てなければならないとした哲学)
わかりやすい側面として、、計画学に象徴されるように、建築形態とは機能によって規定される。すなわち、建築における形態は一意的であり、そこに読み替えが起こりうることは想起しない。一方、歴史上の建築された形態が、多く時の流れの中で全く異なった意味(機能)のもと現存している。
「意味」→「形態」という思考の流れは現代建築のパラダイムに過ぎない。「形態」→「意味」が歴史的に正当性を有し、それが多様な豊かさ=”いくつか性”を生み出してきた。”先行形態論”という、”形ありき”の建築のあり方を現代建築論の文脈に再興させた。
今の建築のあり方として、新築であったとしてもリノベーションの思想でつくることが一つの正しさなのではないか。コンテクストも一つの形態と読み取ることができる。そうした、先行形態を丁寧に読み解き(=意味を与え)”いくつか性”を実現することが大切である。藤本さんを囲んで議論を交わした。
今回の作品達と「セヴェラルネス」の解釈
・味村:選択肢
・林:脳内での多様な主観的現れ
・藤沢:許容
・宍戸:価値判断の相違、絶対的と主観的
・平井:主観と自然、応答の堆積
図らずも、ネット上の「セヴェラルネス」をコンテクストに、セヴェラルネスを実験したような回となった。
参加者:味村、林、藤沢、宍戸、平井