Harada Masahiro Lab

原田真宏研究室ゼミ活動 「SYU-MAI」HP

第101回 「病気」

今回のテーマ「病気」

 

一等:藤澤睦

講評:平井悠大

 

 2018年度、第三回目。「病気」、ネガティブなイメージが付きまといますが、私たちが生きてゆく上で避けては通れない様態の一つでもあります。理性主義的な思想の元、歴史上「病気」という”異常”を克服しようと私たちは数々の努力を重ねてきました。

 一方で、現代において「病気」は精神病が病気の一つとして捉えられ、治療の対象へと変化したため、かつてほど「病気」の定義を明確に語ることは難しくなりました。そのことは「病気」の対極である「健康」であるということの意味に、いままで存在しなかった疑問を生じさせています。そもそも「健康」が自明であるという以上に語りようがなく、「否病気」とでも言わなければ指し示すことができない不確かなものだと気づいたのでしょう。

今回、そうした流れの中で病気を逆転的にポジティブに捉えた作品が多く見られました。

 

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 今回、一等は藤澤さんの作品です。

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病気には多くの種類と、そのプロセスがあります。アーチで表現される個々の病は、高さがその辛さを、スパンがその期間を、幅がその希少性を表しています。透明な病はまだ治療法の見つかっていないものです。病を経験するということは一度アーチの頂上を通過することです。そこからは平坦な地平を歩く、健康な者にはない視点で人生を捉えることができます。

単純なアーチ型でありながら、モノに必然的に立ち現れる座標軸それぞれにきちんと意味合いを与えた事で、「病気」の多様さがプレゼンテーションされ高く評価されました。

 

その他の作品の紹介です。

 

 洪さんの作品(奥右から二番目)病者と健康者の境界を透明なフィルムとして表現し、病から脱し快復した時の開放感を表現しました。膜がはらみ、今にもさけるような動きが感じられます。 

 江利川くんの作品(奥左から二番目)「病気」をたんなる病とだけではなく、熱中しているなど常軌をいっした心理状態をも「病的」の状態と捉え、そうではない人とで認識される空間が異なることを表現しました。粗に散らされた柱が、病者の視点ではきちんと壁として分節されているということが影として表現され、両者の建築体験を一つの構築体で成立させました。 

柴田さんの作品(手前中央)クモの巣状に粘液が伝う道。そこを通過することで人々はだんだんと病を背負い込むようになります。途中には重い病気としての池があり、そこを避けられるかどうかが生死の境となるのです。また、道と直行する方向では先天的な病気と、後天的な病気が粘液のまとわりついた壁で分断されています。そこにあるのは偏見です。同じ病者であってもわかり合えないことが表されます。今回最も病気のネガティブなイメージを表現していると共に、その多元性が評価されました。 

 林君の作品(手前右)ウィルスの存在様態から取り組んだ作品。細胞に寄生するウィルスを、建築を侵食する植物に捉え、腐食し、崩壊した建築をジオラマのようにリアルに表現しました。そこにある廃墟に我々はどこか懐かしさを感じまてしまいます。その様に、建築がスクラップアンドビルドされてしまう事への批判を込めました。

 平井の作品(左端)病を健康に回復するためのプロセスと捉え、健康者は階段を真っ直ぐ登ってゆきますが、病気にかかってしまう人はそれができません。脇のスロープを登ってゆくことになります。その過程が寄り道として人生経験を豊かにすることを表現しました。

 

次回のテーマは「アイドル」です。

 

参加者:洪、藤澤、柴田、林、平井  特別参加:江利川