Harada Masahiro Lab

原田真宏研究室ゼミ活動 「SYU-MAI」HP

110回 「やっほー」

 

一等:丹下裕介

 

講評:関健太

 

 

本年度2回目。

 

『やっほー』という何気ない一言。それは登山者が自分の居場所を知らせる合図などに発する声であり、あるいはうれしいときなどに発する歓声でもある。

この“ ことば ”は私たちが暮らしている世界では日々何気なく発生しているものだと考えられる。日常の要素のひとつであるこの言葉を形態化する上で建築を考えた。

 

テーマ:「やっほー」

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第2回でも引き続き評価シートを用い、持ち寄った作品を互いに評価をし合う。空間力、発想力、構築力、プレゼン力、形態美の項目を元にチャート図を作成し、作品を評価し合った。

そして今回から全体発表の前にそれぞれの作品を観察する時間を設けた。発表者のプレゼンにおける内容に左右されない自分なりの作品に対する見解をはじめに持つことで、それぞれの作品の発表後の発見や議論を生むきっかけとした。

 

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評価シート

 

1等作品は丹下案。『やっほー』という言葉の音の反響とその音の発信源を探すように動き回る人の動きが形として表現された作品。

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1等作品


「やっほーーーーー。」その一言で展示室にその言葉の音が反響してゆく。

どこからその音が発せられたのか、その空間にいる別の人間が動き回る。空間内に存在する建築としての壁は曲がっているというひとつの共通要素があり、そしてその壁には開口部が空いているものと空いていないものの二種類がある。空間内の曲がった壁はその言葉が広がってゆく様と、あるいは言葉がこもるような様を同時に表現しており、人間の五感における視覚や聴覚を刺激しながら、人の動く様子を表現している。

空間の連続性のようなものを確かに捉えていたようにも思う。

この作品では例えば「壁の開口部はアイレベルではなく足元に開けられていていた方が面白いのではないか」などの建築的な議論が盛んに行われた作品でも合った。

 

「やっほー」という言葉の意味や、その言葉の音に着目したもの、また精神的物理的な距離に着目した提案が見受けられた。何気ない人間の発する日常の言葉から建築を考えることは少し難しい印象があった。しかし、その中でも言葉をかたちとして表現することは、ある意味人間の想像力を刺激し、情景として建築を考えるひとつのステップであったようにも思う。

 

成長はまだまだ続く。

 

参加者:栗田、齊藤、関、竹田、丹下、土田、中、林、藤本、渡辺、古谷(堀越研)

 

 

109回 「悪いから良い」


一等:渡辺

 

講評:藤本

 

本年度1回目。

新年度になるにあたり、新たに評価シートを導入することにしました。

多様化する社会の中では、建築の評価基準様々である。そこで一等のみが評価を受けるのではなく、それぞれが学習するために評価が可視化され、自身の評価を確認することで学びにつながることを期待して導入を決定しました。この評価表を活用していく中で、今後このシステムが発展することにも期待しています。

 

テーマ:「悪いから良い」

f:id:hmstudio:20190411185150j:plain作品を分類すると。

具体的な悪いから良いをとらえた案、この言葉の意味自体をとらえた案

 

そんな中、1等になった渡辺君の作品は、悪いから良いという概念自体を空間化した案でした。

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1等作品

悪いと良いは人によって異なる、例えば「赤の空間」が悪いと思う人には、「青の空間」が良いになっている、赤にいる人は悪いから良いと思ってその場にいる。そこから良いとされるところにいる人を見ている。また逆も同じである。ここでは、赤と青つまり「良い」「悪い」はお互いを支えあった関係になっているものもあるが、「悪い」にしかならないものも存在している。模型のグラデーションになっている柱は前者を、逆の板まで到達していない物を後者として表現している。「良い」「悪い」の持つ関係性の中に、人が存在している空間。単純かつ明快に空間化している部分が評価につながったと思います。

 

今回、質疑を行うなかで、建築についての考え方や、自己分析的な話題に発展したりなど、ただシュウマイとしてだけでなく、自身の卒業設計につながる要素も垣間見えたものとなりました。次回からも自分を伸ばす場にしていきたいと思います。

 

参加者:伊藤、栗田、齊藤、関、竹田、丹下、土田、中、林、藤本、渡辺

 

 

 

第108回 「セヴェラルネス」

今回のテーマ「セヴェラルネス」

 

一等:全作品

講評:平井悠大

 

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 本年第10回目。「セヴェラルネス」とは早稲田大学で建築史を教授する中谷礼仁氏が提唱した術語である。今回私達は模型製作期間中に原典を入手できなかったため、不明瞭な”セヴェラルネス”なる言葉を、インターネット上にある少ない論述を基に推察し取り組んだ。模型製作過程のこうしたプロセスは、伝聞をもとに未知のサイを描いたドイツルネサンスの巨匠デューラーを思い出させる。個々人の類推の独特性が発揮され、『サイ図』のように自家製的魅力をもつ作品群を生んだ。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3f/D%C3%BCrer%27s_Rhinoceros%2C_1515.jpg/1514px-D%C3%BCrer%27s_Rhinoceros%2C_1515.jpgデューラー:サイの木版画 1515年

 

 また、今回、学部生だけでシューマイを行った後、「セヴェラルネス」を研究中であるM2藤本さんに解説と改めて講義と講評を行っていただいた。単なる作品評にとどまらない建築のあり方までを含んだ議論の広がりは非常に有意義であった。

 

私は未だ原著を未読である。本講評は増補改訂の可能性があることを了承いただきたい。

「セヴェラルネス」:幅を持った術語であり、一言でまとめるならば建築形態に”実存主義”視点を持ち込んだものとして理解される。

実存主義:「実存は本質に先立つ」:本質(=意味)が剥奪された現代人類には、”ただ有る”としての実存しかない。各々の努力の基に、各々の本質(=意味、目的、役割)を打ち立てなければならないとした哲学)

わかりやすい側面として、、計画学に象徴されるように、建築形態とは機能によって規定される。すなわち、建築における形態は一意的であり、そこに読み替えが起こりうることは想起しない。一方、歴史上の建築された形態が、多く時の流れの中で全く異なった意味(機能)のもと現存している。

 「意味」→「形態」という思考の流れは現代建築のパラダイムに過ぎない。「形態」→「意味」が歴史的に正当性を有し、それが多様な豊かさ=”いくつか性”を生み出してきた。”先行形態論”という、”形ありき”の建築のあり方を現代建築論の文脈に再興させた。

 

 

 今の建築のあり方として、新築であったとしてもリノベーションの思想でつくることが一つの正しさなのではないか。コンテクストも一つの形態と読み取ることができる。そうした、先行形態を丁寧に読み解き(=意味を与え)”いくつか性”を実現することが大切である。藤本さんを囲んで議論を交わした。

 

今回の作品達と「セヴェラルネス」の解釈

・味村:選択肢

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・林:脳内での多様な主観的現れ

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・藤沢:許容 

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・宍戸:価値判断の相違、絶対的と主観的

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・平井:主観と自然、応答の堆積

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図らずも、ネット上の「セヴェラルネス」をコンテクストに、セヴェラルネスを実験したような回となった。

 

参加者:味村、林、藤沢、宍戸、平井

 

第107回 「先生」

今回のテーマ「先生」

 

一等:木村健

講評:平井悠大

 

 2018年度、第9回目。我々を導くカリスマ性を感じさせる指導者としての「先生」。古来「先生」はその知的優越性の下に特権的尊敬を集めてきた人々でした。しかし、知識の並列化と多領域への知の分極が進行し、現在の「先生」は一つの役割に過ぎなくなったと言えるでしょう。

 人は誰かに教わら無ければ、人間らしい振る舞いも、そして多くの豊かな感情すら持ち得ない存在です。教えるという行為は知識の伝達にとどまらない、人を人として耕す特別なコミュニケーションなのです。オーラを剥がされ、実存のみが残った「教える」という行為。どう教えればよいのか、できることなら誰かに教わりたいと昨今の「先生」は思っているのかもしれません。

 

 今回の作品には、そうした裸の人間としての「先生」の姿が多く見られました。

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 藤沢さん、味村くんは、相対化されてしまった先生と生徒の関係を、レベル差を用いてうまく表現しました。自由な生徒の発達が先生の幻術を脱する瞬間を描いた藤沢さん。教育の要件として親近感が求められるとして、視線の上下での抜けをとりあげた味村くん。

 洪さんは、教え導く上位の存在としての先生と、引き上げられる生徒の関係をスラブの上下するポールとして表現し、伝統的な一対一対応の師弟関係を偲ばせます。

 

 一等は、生徒のポテンシャルを引き出すものとしての先生を描いた木村くんです。

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 上下から伸びる平面は、18個の対になっています。下から伸びる平面は短所の平面、上から伸びる平面は長所の平面です。間の空間に「先生」は立ち、生徒につき一対の長短の平面を調整することになります。長所を伸ばしてあげ、さらに、短所も伸ばしてあげる。総体としての、人間の魅力を成長させる先生の姿が描かれています。

 教えの個別性と、成長という動き、また、教えにおいて発揮される先生の魔術的権能。それらが教室空間が生命を持って活動するかのように表現されました。表現のストーリー性と、身体性に優れ、共感力の非常に高い作品となりました。

 

 次点は、自身の体験を基に危うい存在としての先生を描いた宍戸くんです。

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 生徒に憧れられる先生は、嘘と虚飾に満ちている。先生という実態はその場を取り繕う嘘の塊であるとして、乱雑に立てられた多くの柱に込めました。計画性の無い柱は耐力のない構造体であり、依って立つ土台をも脆弱なものとしてしまいます。

 一方の生徒は、そんな先生に盲目的な憧れを抱きます。ヴェールのようにまとわりつく憧れが、いびつな構造体を隠すと共に、先生を虚像として形作ります。先生と生徒の共犯関係、内部に見える黒色がその危うい内実をちらりとのぞかせています。

 露悪的な体験談に裏打ちされた空間は、人間臭い先生の姿の生々しさに満ち、強い迫力を感じさせました。

 

 次回のテーマは「セヴェラルネス」です。

 

 参加者:洪、藤沢、味村、木村、宍戸

第106回 「浮気」

今回のテーマ「浮気」

 

一等:宍戸元紀

講評:平井悠大

 

  2018年度、第8回目。恋愛とは人間という種に固有の異性とのコミュニケーション方です。その理由としてヒトの頭脳の異常な発達があり、母体内で10ヶ月という期間をかけても胎児は他の哺乳類のようには成熟しません。出産後も長い期間一人では生きることはおろか、立つことすらできない我が子。長期に渡り必要とされる子供の保護は男女に発情期で終わってしまうような関係ではない、恋愛という長期のコミュニケーション求めたのです。

 一方でその子供も、3年もたてばある程度の自律的な行動が可能となります。生物としての恋愛の必然は3年で消滅し、それと同時に恋の魔力も3年で終わってしまう。このことが近年、脳科学の研究で明らかとなっています。長い結婚生活の中で浮気心が生じてしまうのは生物的な裏付けのある悲しい現実です。

 

 今回、心の複雑な動き「浮気」をテーマに、様々な蠱惑的な模型が集まりました。

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一等は、浮気の男女差を描いた宍戸くんです。

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 男性の浮気は、肉体的欲求の下で精神的に満ち足りた環境下で行われることが多い一方、女性は、精神的欠落の代償として浮気を行うことが多いようです。

上側の男性空間はホワホワとした白いモヤに包まれ、即物的な肉体的快楽を感じます。対する女性側、黒く殺伐とした空間は彼女の孤独感を痛々しく伝えます。

パートナーといえど彼らの抱える問題は大きく異なる。彼らが異なった道を歩んだ果に「浮気」という行動に移るストーリーが伝わってきます。そして、互いに異性に求めるものが異なっている。にもかかわらず、彼らの空間の重ね合わせが見事な調和体となること。それが切なくもリアルに感じられます。

複雑な精神状態を空間表現に落とし込んだ傑作です。

 

その他の作品

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 藤沢さんは、源氏物語に見られる、古来の自由な恋愛観の世界の”美しくはかない”ものとしての「浮気」を描きました。人の色恋を描いた和歌が、近年”美しい”と取り上げられる単管仮設構造物に展示されています。一瞬の華だから浮気はより甘美なものとして人を誘うのでしょう。

 

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 木村くんの作品は、浮気に誘われる人の経時的な状況を示しました。ぐるぐると渦巻く道は浮気をする人の惑いの道です。

浮気にはある結果と、その責任が問われます。ひとは、浮気をしてしまうのか、そして、それにどう決着をつけるのか、揺れ動く気持ちが連続する人生のような作品です。

 

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 味村くんの作品は、パートナーにバレずに欲求を満たそうとする男性を取り上げました。見え隠れするステップを忍び進んで、彼女にはない魅力をもつあの人への接近を図る。ゲームのように「浮気」を楽しむ男性のエゴが強く感じられます。 

 

 次回のテーマは「先生」です。

 

 参加者:藤澤、味村、木村、宍戸

第105回 「梅雨前線」

 今回のテーマ「梅雨前線」

 

一等:宍戸元紀

講評:平井悠大

 

 ジメジメと湿度の高い日々が続きます。春から夏への間に訪れる陰性の強いこの時期は日本の雨季、梅雨です。

 

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 イメージ性の強い「梅雨前線」というテーマに対し、魅力的な作品が多くあつまりました。

 解法として、季節の移動・平衡を図式として捉えたもの。雨から感じられるストーリー性を魅力的な物語空間として提示したもの。そして、雨の体験に対する一歩引いた視点からのパロディ的具現化がありました。

 

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 今回の一等は表現と、ストーリーに不思議な魅力を持った宍戸くんの作品です。

人々は通常雨に対し、その発生原因をある程度気にし、意識しています。一方この時期においてその意識は薄れ、その由来は「梅雨」の一言のもとで解決されてしまいます。

部屋の上部に伸びる管から窓に対しシャワーが降り注いでいます。室内にいる人はこれを一意的に「梅雨」と疑問に思うことはありません。一方で外部から眺める人々にとっての現れはとてもシュールな光景です。

自明と思われることにこそ発見の端緒がある、そうした子供のような”ナゼ”の力を再発見させられ。また、模型表現もそうした純粋な疑問の可愛らしさを具現化したような、イラスト風の愛おしさをみんなに与えました。

小さな物語の、小さな調和が素晴らしい作品です。

 

 次回のテーマは「浮気」です。

 

参加者:木村、味村、林、瀬川、藤澤、平井、宍戸

第104回 「切羽詰まってる」

今回のテーマ「切羽詰まってる」

 

一等:林侑也

講評:平井悠大

 

  本年度第6回目。切羽詰まってる我々が行う切羽詰まってるシューマイ。

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今回の作品には「切羽詰まってる」状態に対し、2つのアプローチがあったように思います。作品によっては1,2のアプローチの併用も見られます。

 

1:明示型

2:分解型

 

1:現実の状況における「切羽詰まってる」を1:1に近いスケールでとらえた空間表現。おおむね、視野が狭い状態と解釈し、発見的要素を空間にもたらすことで具現化させるもの。その際、通常の視線の外に仕掛けを置くことで、心身の動的可能性が制限されている状態を強調します。

2:「切羽詰まってる」を一連のプロセスに分解し、ある種スケールフリーな状態として示したもの。一例として階段状のオブジェクトに、個人の切羽詰まってる状態への対処とその行方を示したもの。ステップの違いや高低差は個人それぞれの経路と、結実する到達点の相違を表します。

 

今回一等の林君の「切羽詰まってる」を緊張状態と解釈した作品は1,2をふまえた上で、解釈と作品表現の間で螺旋のように一段上への昇華が評価されました。

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 この作品では人々の異なる精神状態が示されています。切羽詰まっていない弛緩した平時の状態では、人々の注意は散漫で意識は様々に遊びます。その一方で、極度に追い込まれた状況で人は並ならぬ集中力のもと、時に高いパフォーマンスを発揮します。スポーツなどでゾーンへ入ったと言われる状態です。

 スラブを吊る糸は人の緊張状態を表しています。平時のスラブは弛緩した糸のもとグラグラと動き、高い可動域を有する一方で、不安定な状態と言えます。安定させるためにはスラブを下へ引き下げ、糸を緊張させピンと張る必要があります。

 別の解釈もこの模型にあります。ある事にとらわれ、頭から離れなくなるという状況です。四隅から出た糸が絡みつく姿は、すべての思念が一つのことに収束してゆくノイローゼのような「切羽詰まってる」状態を暗示しています。

 建築において絶対安定のものとしてのスラブは存在し、私達の身体的なの安定の拠り所であり、精神状態のメタファーとして明確です。そこに、糸が緊張するというモノとしての挙動の視点を上手く合わせたことで、作品に動きが生まれると共に、〈解釈、概念〉の抽象性と、〈素材、力学〉の具象性との間での往還が行われ豊かな作品になりました。

 

 次回のテーマは「梅雨前線」です。

 

参加者:平井、洪、味村、藤澤、林